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2020/02/29 1945年(昭和20)8月17日午後7時、総理官邸から臨時のラジオ放送が流された。マイクに向かっていたのは、内閣を組織したばかりの総理大臣・東久邇稔彦だった。「陛下は、このたびの大戦の収拾にあたって、『国民の気持ちはわかる、しかし感情に走ってみだりに事態を混乱させてはならぬ』と諭さとされています。……私は国民が万難に耐え、陛下の意に沿うべきことを期待します」木貫太郎すずきかんたろう内閣の後を受け、皇族で陸軍大将でもあった東久邇に大命たいめいが降下したのは、国民の動揺を鎮しずめるには、皇族としての権威の発動が必要だと考えられたからだった。 軍の一部に降伏を承知しようとしない動きもあり、東久邇は秩序の維持こそが最優先と考え、緒方竹虎おがたたけとら国務相と相談のうえ、ラジオで国民に呼びかけることにしたのである。 東久邇の試みは好感をもって迎えられ、これにつづく28日の共同記者会見、9月5日の国会での施政方針演説が好評だったこともあり、国民も軍関係者たちも予想以上にスムーズに敗戦という現実を受け入れていく。また、「国民の皆さんから直接に意見を聴きいて、政治をやるうえの参考にしたい」と総理大臣への投書を歓迎する意向を表明し、国民の目線に立とうという姿勢を示したことも、内閣への共感、信頼感を高めた。多いときで1日に1000通以上の手紙が総理官邸に届けられたという。 東久邇の在任期間は54日と歴代総理のなかで最短ではあったが、終戦直後の難しい時期に登板して占領後の混乱を収拾し、日本を新しい体制に導くという一定の成果を上げることができたのである。
2020/02/29 内閣(ひがしくにのみやないかく)は、皇族、陸軍大将の東久邇宮稔彦王が第43代内閣総理大臣に任命され、1945年(昭和20年)8月17日から1945年(昭和20年)10月9日まで続いた日本の内閣である。 皇族が首相となった史上唯一の内閣である。内閣制度発足後、現在に至るまで在職日数は54日間と史上最短である。
2020/02/29 1932年5月26日―1934年7月8日。五・一五事件後,軍部の圧力で中間的挙国一致内閣として成立。内田康哉外相の焦土外交で1932年満州国承認,日満議定書調印。1933年国際連盟を脱退した。国内ではインフレと農業恐慌の中で自力更生を奨励し,文部大臣鳩山一郎は滝川事件を起こした。また軍部の圧力で五相会議を開き政党の力を排除した。1934年帝人事件で大蔵省高官が逮捕され総辞職した。→斎藤実
2020/02/29 「憲政の常道」とは元々桂園時代の政権推移であった藩閥と政友会の交代を否定したスローガンであり、衆議院二大政党における与野党交代体制を目標としたものであった。しかし、原敬は首相在任期に衆議院多数派と貴族院の多数派が相互に提携しながら交互に政権を担うことが憲政の常道であると語ったとされ、憲政常道論には諸説があった。[4] 元老の西園寺公望は、護憲三派(立憲政友会、憲政会、革新倶楽部)が勝利した第15回衆議院議員総選挙の結果をみて、それまで忌避していた憲政会総裁の加藤高明を総理大臣に推薦する決心をした。政局の安定のためには加藤を推すのが穏当と考えたからである[5]。加藤は陸奥宗光の影響や自身の体験から、イギリスやアメリカの二大政党制を理想としていて[6]、総選挙後に野党党首が組閣するという日本で初めての例を開いた[7]。憲政の常道が確立した理由として、西園寺の権威が絶対的だったことが挙げられている。政治家は西園寺の意図を忖度して行動し、自らの野望や落胆を抑制し忍耐することができたのである。しかも、西園寺の選択は彼らの野望と一致しなくてもそれなりの説得力を持っていたからである[8]。 五・一五事件で犬養毅首相が暗殺された後、軍部の意向と犯行におよんだ軍人に同情的な世論を考慮した結果として、政友会の後継総裁となった鈴木喜三郎に大命降下はされず、退役海軍大将の斎藤実が首相になり、政友会と民政党から閣僚を採用して挙国一致内閣を組織した。退役海軍軍人を首班とする内閣の発足により、政党内閣は崩壊し憲政の常道は終了した[9]。
2020/02/28 1月末に欧州連合(EU)を離脱した英国のジョンソン政権は27日、自由貿易協定(FTA)締結などに向けて来週始める対EU交渉の基本方針を発表した。9月までの妥結を目指すと表明した上で、合意の大枠が固まる十分な進展が6月までになければ、決裂も辞さない強硬姿勢を示している。 EUも25日に対英交渉方針を決定しており、双方は3月2日に正式に交渉に着手する。ただ、FTAの妥結には通常数年かかるため、わずか4カ月で話し合いが大幅に前進するか不透明だ。 
2020/02/28 『日本改造法案大綱』(にほんかいぞうほうあんたいこう)とは、北一輝による日本の国家改造に関する著作である。 1911年(明治44年)、中国の辛亥革命に、宋教仁など中国人革命家と共に身を投じた北は、1920年(大正9年)12月31日に帰国し、3年後の1923年(大正12年)に刊行した著作である。言論の自由、基本的人権尊重、華族制廃止(貴族院も廃止)、北の言うところの「国民の天皇」への移行、農地改革、普通選挙、私有財産への一定の制限(累進課税の強化)、財閥解体、皇室財産削減、労働者の権利確保、労働争議とストライキの禁止、オーストラリアとシベリアを戦争によって獲得することなどを求めていた。この北の主張に感化された若手将校たちによる二・二六事件により、北は、事件への直接の関与はないが[注釈 1][注釈 3]、理論的指導者の内の一人とみなされ、1937年(昭和12年)に処刑された。
2020/02/28 ロシアのプーチン大統領は27日公開のタス通信のインタビューで、ロシアでテロが頻発した2000年代初めに、暗殺から逃れるための「影武者」を置くよう提案されたが、拒否していたと明らかにした。 プーチン氏は「(提案は)あったが、拒否した。テロとの戦いが最も困難だった時代だ」と振り返った。プーチン氏は当時、ロシア南部チェチェンの独立派武装組織に強硬姿勢で臨んでいたため、02年にモスクワ劇場占拠事件(約130人死亡)、04年に北オセチア共和国ベスランの学校占拠事件(約330人死亡)など大規模テロが起きた。インタビューでは質問者がインターネットで関心が高い項目の一つとして、プーチン氏に影武者の有無を尋ねた。プーチン氏の大統領就任から今年で20年となることから、タス通信は今月20日から全20回にわたるインタビューの配信を始めた。 
2020/02/27 フランス首都パリのルーブル美術館(Louvre Museum)で24日まで開催されていたイタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダビンチ(Leonardo da Vinci)の特別展に110万人近くが訪れ、同美術館の最多来館者数を更新した。同美術館が発表した。
2020/02/27 れいわ新選組は26日、次期衆院選の山口4区に、新人で山口県下関市のプロレスラー兼通所介護事業経営、竹村克司氏(47)を擁立すると発表した。下関市などの山口4区は安倍晋三首相の地元選挙区。山口県庁で記者会見を開いた山本太郎代表は「『政権を取りに行く』と宣言しているので、総理の胸を借りて戦わせてもらうのは当然の選択肢だ。下関からもう1人国会議員を誕生させませんかという思いで、確実に議席につなげていきたい」と述べた。 竹村氏は京都府城陽市出身。「竹村豪氏(かつし)」のリングネームで「新日本プロレス」などで活躍したが、2009年にけがで一時引退した。妻の故郷で、巡業でも度々訪れていたという下関市に移住後、通所介護事業などを営み、19年2月にプロレスへ復帰した。
2020/02/26 在日米軍のシュナイダー司令官は25日、東京都内の日本記者クラブで記者会見し、在日米軍の駐留経費のうち日本側が負担する割合を定めた日米特別協定について「以前のように有効ではなくなっているかもしれない」と述べ、東アジアの安全保障環境に合わせて協定も見直す必要があるとの考えを明らかにした。 現在の特別協定の期限は2020年度末。それ以降の負担を決める新協定の日米交渉は今年夏にも本格化する。トランプ米大統領は署名から60年を迎えた現行の日米安全保障条約を「不公平」だと主張し、負担増を求めている。
2020/02/26 インドを訪問中のトランプ米大統領は25日、首都ニューデリーでモディ首相と会談した。インド太平洋地域で影響力拡大を図る中国を念頭に、安全保障協力の強化を確認。対潜水艦戦などに使う米国製ヘリコプターMH60R(シーホーク)24機を含む総額30億ドル(約3300億円)以上の武器売却で合意した。 トランプ氏のインド訪問は大統領就任後初めて。大統領選を控えた重要な時期にインドだけを単独訪問する背景には、防衛装備品輸出などを外交成果として支持層にアピールするとともに、政治的影響力を増しつつあるインド系米国人の支援獲得につなげたい思惑がある。モディ首相は会談後の共同記者会見で「米印関係を包括的グローバル戦略パートナーシップに格上げする」と宣言。安保やエネルギー、技術協力、貿易など全ての分野で建設的協議を行ったと述べた上で、「大きな貿易協定」に向けた交渉開始で合意したと明らかにした。 
2020/02/25 世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は24日にジュネーブで行った記者会見で、新型コロナウイルスについて、世界的流行を意味する「パンデミック」が起こる可能性に、各国は備える必要があると強調した。 ただ、テドロス氏は現時点ではパンデミックの状態ではないとの認識を示した。また、緊急事態への対応を統括するマイク・ライアン氏は、韓国での感染者数急増など懸念材料がある一方、中国での新規感染者数は減少していると述べ、パンデミックの判断は時期尚早だと説明した。 
2020/02/24 イランで21日行われた国会選挙(一院制、定数290)で、23日までの開票作業の結果、反米の最高指導者ハメネイ師の意をくむ保守強硬派が圧勝した。国際協調を掲げたロウハニ大統領を支える保守穏健派や改革派は支持が低迷し、惨敗した。 ロウハニ政権の求心力低下は必至。国際社会との対立も辞さない強硬派の台頭で、米国や欧州諸国、敵対する中東の近隣国との緊張が高まる恐れがある。
2020/02/24  昨年10月の火災で焼失した首里城(那覇市)の再建について、沖縄県などがイベントを通じた県民参加を呼び掛けている。玉城デニー知事は「見せながら再建する」と話しており、21日からは崩落した赤瓦の再利用に向けたボランティアの募集を始めた。3月以降、残った城郭などを利用したプロジェクションマッピング、破損した瓦を用いたシーサーの制作体験なども予定している。 火災では正殿や北殿などが焼け落ち、県警の捜査で原因は不明とされた。復元工事は所有権を持つ内閣府が2月上旬から始めたが、県には崩落した瓦などの再利用を求める声が寄せられており、「復旧・復興への想いをつなぎ、琉球文化・歴史に触れる機会」(玉城知事)として、国などと市民参加型イベントを企画した。 「しっくい剥がしボランティア」は、屋根に取り付けた際に使ったしっくいを、ブラシで瓦から取り除く作業。形状が保たれた瓦が対象で、3月いっぱい毎日2回、首里城公園内で開催する。15歳以上が応募でき、各回の募集定員は約50人。 3月7、8日夜には、園内3カ所で焼失前の正殿などのプロジェクションマッピングを実施。5~8月は、破損した瓦でシーサーを作る体験イベントを開く。他にも復元工事と並行した企画が予定されており、県都市公園課の担当者は「県民や観光客など多くの方が参加し、首里城復興へ思いをつないでくれれば」と話している。 
2020/02/24 中国全国人民代表大会(全人代、国会に相当)常務委員会は24日、湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎の対策を優先するため、来月5日に開幕が予定されていた全人代の延期を正式に決定する。湖北省では厳しい状況が続くものの、北京市を含む21地域では23日、前日から感染者が増えておらず、全人代が3月下旬に開催されるという見方が出ている。全人代は1998年以降、毎年3月5日に開かれており、延期は極めて異例だ。全人代の開催中、並行して国政助言機関・全国政治協商会議(政協)も開かれるため全国から約5000人の地方政府高官らが北京に集まる。習近平指導部は全人代を予定通り開けば、肺炎対策に支障を来し感染を拡大させると判断した。      
2020/02/23 台湾の衛生当局は22日、台湾から日本への渡航について従来の「注意」から「警戒」に引き上げたと発表した。日本で新型コロナウイルスの感染が拡大していることを受けた措置。「警戒」は3段階のうち2番目に厳しいレベルで、渡航する人に感染防止措置を強化するよう求めている。 台湾からの2019年の訪日客は489万人で、中韓に次ぎ3位。台湾ではすでに訪日の自粛ムードが広がっているが、「警戒」が発令されたことで、日本の観光業にさらなる打撃となりそうだ。 台湾は韓国に対しても22日、「警戒」を発令した。中国については香港・マカオを含む全土に最も厳しい「警告」を発し、不要不急の渡航を避けるよう勧告している。【
2020/02/23 インドネシア保健省は21日、新型コロナウイルスに感染した可能性のある日本人を含む外国人118人の入国を拒否したと発表した。国籍別の人数や時期など詳細は明らかにしていないが、大多数は中国人だった。 インドネシアではこれまで感染者は確認されていないが、中国のほか日本やシンガポールなどで感染者が多数出ていることから水際対策を強化している。入国を拒否した外国人は直近で中国に滞在しているか、発熱などの症状がみられたという。 インドネシア入国管理局によると、入国を拒否された日本人のうち1人は2月6日にジャカルタの国際空港に到着し、約2週間前に中国への渡航歴があった。ほかに発熱の症状があり、検問所の問診で感染者と接触した可能性があるとして拒否された日本人がいるという情報もある。 インドネシア政府は5日から、過去14日間に中国本土に渡航歴のある外国人の入国を禁止し、中国本土との直行便も運休している。
2020/02/23 雅子は,種々の工夫を凝らしつつ一生懸命に努力を積み重ね,幸いにして,令和元年は,即位に係る全ての儀式・行事に出席することができました。このことを私も雅子もとてもうれしく思っております。本人も強い責任感を持って一つ一つの行事に臨んでおりましたが,それに加えて,先ほども述べましたとおり,即位以来,多くの方々から温かいお祝いを頂いたことが活動の大きな支えになっていると思われます。雅子自身も多くの方々から寄せていただいた温かいお気持ちをうれしく,また有り難く思っていると申しておりました。他方,雅子はいまだ快復途上にあり,昨年12月の誕生日の際に医師団が見解として述べているとおり,体調には波があり,大きい行事の後や行事が続いた場合には,疲れがしばらく残る傾向があります。近くで見ていると,とてもよく頑張っていると思いますが,決して無理をすることなく,これからもできることを一つ一つ着実に積み重ねていってほしいと思います。また,即位以来,忙しい日々を送る中でも,私や愛子にもいろいろと細かく心を配り,活動を支えてくれており,公私にわたり良き相談相手となってくれています。私も今後とも,できる限り雅子の力になり,支えていきたいと思っております。国民の皆様には,これまで雅子に温かく心を寄せていただいていることに,改めて心より感謝の気持ちを述べるとともに,引き続き雅子の快復を温かく見守っていただければ有り難く思います。科においては充実した高校生活を送ることができたようで,それもひとえに先生方や多くのお友達のお陰であると感謝しております。今後の進学先については,学校側から,愛子が希望していた,学習院大学文学部日本語日本文学科への合格通知を頂きました。進路については,本人から私たちにも相談がありましたが,本人の意向を尊重しながら,できる範囲での助言をしてきたつもりです。希望の進学先に進めることを,愛子はもとより,私も雅子もとても喜んでおります。高校を卒業し,大学へ進学すると,今まで以上に,様々な経験を積み重ねながら視野を広げていく時期になると思います。これからも感謝と思いやりの気持ちを大切にしながら,いろいろな方からたくさんのことを学び,自身での思索を深めていってほしいと思っています。それとともに,充実した学生生活を送ってほしいと思っています。その中で,自分のやりたいことを見つけ,成年皇族としての公務とのバランスを見出しながら将来への希望を描いていってもらえれば,と思っております。上皇上皇后両陛下には,長年にわたり,常に国民の幸せを願われ,国民に寄り添い,苦楽を共にされながら,全身全霊で務めを果たしてこられました。上皇上皇后両陛下のこれまでの歩みに思いを致す度に,深い感謝と敬意の念を覚えております。そして,御退位に当たり,私たちに対し,種々お心遣いをいただいてきたことを有り難く思っております。同時に,これから高輪への御移居の御準備や,御移居に伴う新しい環境への順応などの御負担を案じております。御退位後,上皇陛下には,生物学研究所へのお出まし,上皇后陛下には,音楽鑑賞や美術鑑賞などへのお出ましなど,これまで十分に時間がお取りになれなかった御活動にもお時間をお割きになれるようになればと思っています。末永くお健やかにお過ごしいただけますよう,心よりお祈り申し上げます。 © FNN.jpプライムオンライン \--公的活動を担うことができる皇族は,高齢化や結婚によって減少しています。陛下は皇室の現状を,どのように認識されていますか。望ましい皇位継承のあり方をどのようにお考えですか。皇嗣の秋篠宮さまとは,皇室の課題や将来について,どのように話し合われていますか。 現在,男性皇族の数が減り,高齢化が進んでいること,女性皇族は結婚により皇籍を離脱すること,といった事情により,公的活動を担うことができる皇族は以前に比べ,減少してきております。そしてそのことは皇室の将来とも関係する問題です。ただ,制度に関わる事項については,私から言及することは控えたいと思います。 秋篠宮とは,折に触れ,いろいろな話をいたしますが,内容について言及することは控えたいと思います。 © FNN.jpプライムオンライン 天皇陛下会見 後半【「新型コロナウイルス感染拡大の早期収束を願う」天皇陛下即位後初の誕生日 会見全文②】はこちら     
2020/02/23 日本社会が大きく変わろうとしている令和の時代に,陛下は具体的にどのような活動によって天皇の役割を果たしていくお考えか,決意をお聞かせください。陛下の憲法に対する思いもあわせて教えてください。御指摘のように,近年は特に変化の激しい時代です。例として挙げられたAIが数年前には今のように話題になっていなかったことや,今では当たり前に使われ,我々の生活を大きく変えているスマートフォンの普及,その一方で,各地で大きな被害をもたらす気候変動による自然災害の脅威が更に深刻になっていることなど,平成の初期と比べても,人々の生活環境は異なってきていると思います。このような変化の激しい時代にあって,社会の変化や時代の移り変わりに応じた形でそれに対応した務めを考え,行動していくことは大切なことであり,その時代の皇室の役割でもあると考えております。そのためにも,多くの人々と触れ合い,直接話を聞く機会を大切にしていきたいと考えています。同時に,先に述べましたとおり,常に国民を思い,国民に寄り添い,象徴としてあるべき姿を模索しながら務めを果たし,今後の活動の方向性についても考えていきたいと思っております。憲法についての質問ですが,日本国憲法は,日本国及び日本国民統合の象徴として天皇について定めています。憲法を遵守し,象徴としての務めを誠実に果たしてまいりたいと考えております。 皇后・雅子さま、愛子さま、そして上皇上皇后さまについて \--皇后さまのご活動やご体調をどのように受け止め,今後,どういった役割を期待されていますか。愛子さまのご活動や将来について,天皇として,父親としてどのようにお考えになっていますか。また上皇ご夫妻のお過ごしをどのようにご覧になっていますか
2020/02/23 即位礼正殿の儀に参列され,饗宴の儀にも御出席いただいた各国を代表する方々から心の込もったお祝いをいただきました。海外の王室の方々とも旧交を温めることができたことをうれしく思っております。そうしたお一人お一人の声に支えられて今日を迎えることができていると感じております。この場を借りて改めて感謝いたします。日本国及び日本国民統合の象徴としての私の道は始まってまだ間もないですが,たくさんの方々からいただいた祝福の気持ちを糧に,上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し,また,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,研鑽(けんさん)を積み,常に国民を思い,国民に寄り添いながら,象徴としての責務を果たすべくなお一層努めてまいりたいと思っております。儀式の在り方についての質問ですが,平成へのお代替わりにおける一連の即位儀式の際,現行憲法下における初めての即位ということもあり,儀式の在り方について,慎重に検討がなされたと承知しております。今回の一連の諸儀式においては,平成時を踏襲した上で,必要に応じて,変更や工夫を取り入れたものと認識しております。

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岩田 雅プロフィール

近影

佐渡市(旧金井町)出身
1946年生まれ
(東京都世田谷区在住)
元通信社論説委員
2010年日本ペンクラブ会員

国際評論集

  • 第1弾「鬼太鼓の鬼 世界をゆく」(2010年)
  • 第2弾「鬼太鼓の鬼 アジアをゆく」
  • 第3弾「鬼太鼓の鬼 世界をゆく―女王のいる共和国」
    (2011年)
  • 第4弾「時代を歩く―評伝。
    本間雅晴のころ」
    (2012年)
  • 第5弾「時代と生きる-
    みやこの西北・早稲田の杜」
    (2013年)
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